※ 現在、点検・調査のため、地下軍需工場跡内の立ち入りができません。ご迷惑をおかけしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。  吉見町(H30.6.20)

 

吉見百穴(よしみひゃくあな)は、今から約1400年前の古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)の横穴墓群であり、大正12年に国史跡に指定されています。また、現在、確認されている219基の穴数は、国内最大規模となっています。

特徴

横穴墓群は、岩山の表面から数メートルの小穴(古墳の玄室
に相当するもの)を多数掘って造られた集合墳墓で、穴内の台座に棺桶を安置したとされています。なお、台座は穴によっては複数存在しており、このような穴には家族単位で葬られたものと考えられています。多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、ここには緑泥片岩という緑色の石で作られた板状の蓋がはめ込まれていました。これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、複数の台座状構造と合わせて同一の穴に追葬が行われたことを示すものと考えられています。場所によって穴の並びが整然、不規則と各箇所で差がありますが、不規則な箇所は比較的初期に、整然と並んでいる箇所は後期に造られたものと考えられています。岩山の下方には、ヒカリゴケが自生している穴がある。関東平野におけるヒカリゴケの自生地は非常に貴重であり、「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されています。

 

地下軍需工場跡

太平洋戦争中、この岩山の地下に中島飛行機の地下軍需工場を建設するため、岩山の最下部に大きなトンネル(直径3メートルほど)が碁盤の目状に掘られ、その出入口として吉見百穴には3ヶ所の坑口が掘り出されました。また、吉見百穴のすぐそばを市野川が蛇行して流れていましたが、軍需工場の前面に用地を確保するため、流路を西側へ移動する河川改修も合わせて行われた。この際、元から存在していた横穴が十数個崩されて消滅しています。これらの軍用トンネルの内壁は、ほぼ素掘りのままとなっています。夏期は涼風が吹き出すことがあります。

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