ミハイルガルージン駐日大使の経歴や家族(妻と息子)|日本語ペラペラでも支離滅裂?!

駐日ロシア大使のミハイル・ガルージン氏の日本語の上手さに驚きますよね。

ロシアのウクライナ侵攻にあたり、ミハイル・ガルージン氏はテレビ出演をしてキャスターや小野寺五典元防衛相などと流暢に日本語を操り対等に話をしております。

そんなミハイル・ガルージン氏の経歴や家族また日本語がペラペラな理由が気になります。

そこで、この記事ではミハイル・ガルージン氏の経歴や家族構成や顔画像、そして日本語がペラペラな理由についてまとめていきます。

目次

ミハイル・ガルージンの経歴!エリート外交官家系

現・駐日ロシア大使のミハイル・ガルージン氏(ミハイル・ユーリエヴィチ・ガルージン)。

ロシア連邦以前のソビエト連邦時代から外交官を務めるエリートです。

名前:ミハイル・ユーリエヴィチ・ガルージン(Михаил Юрьевич Галузин/ Mikhail Yurievich Galuzin)
生年月日:1960年6月14日
年齢:61歳
国籍:ロシア

1983:年外務省入省
1983-1986年:駐日ソ連大使館・職員
1992-1997年:駐日ロシア大使館・職員
2001-2008年:駐日ロシア大使館・公使
2010-2012年:ロシア外務省・第3アジア局・局長
2012-2017年:駐インドネシアロシア大使
2018年1月-至現在:駐日ロシア大使

ソビエト連邦・モスクワにて生まれ。

父親もソ連大使館の外交官であったことから、1966年より日本で5年間過ごした幼少期があります。

1983年モスクワ国立大学群の一つ、アジア・アフリカ諸国大学を卒業。

卒業後は外務省に入省し駐日ソ連大使館の職員として働き始めます。

駐日ソ連大使館職員、駐日ロシア大使館職員を経て、駐日ロシア大使館公使に。

その後はロシア外務省・第3アジア局の局長や駐インドネシアロシア大使などの任期を経て現在は駐日ロシア大使館の大使として日露両国の友好関係を尽くされています。

経歴を見てもスゴイのですが、父親も外交官ということはやはり生粋のエリート家系だったのですね。

ミハイル・ガルージンの家族構成!妻と息子の顔画像は?

ミハイル・ガルージン氏には妻と息子が一人います。

ミハイル・ガルージン氏の奥様であるガルジーナ夫人の顔画像がこちら↓

ブロンドのお綺麗な方ですよね。

名前はマリーナ・ガルージナさん。

こちらには2020年のガルージン大使の奥さんガルージナさんの顔画像もありました↓

ミハイル・ガルージン氏には息子さんが一人いますが、年齢や顔画像などは分かりませんでした。

ですが、ガルージン氏の年齢を考えるとすでに成人していると思われるので、ロシアで外交官になっているかもしれませんね。

ミハイル・ガルージンが日本語がペラペラなのは創価大学に留学

ミハイル・ガルージン氏を初めて見た人は、ガルージン氏の流暢な日本語に驚きますよね。

先ほどもご紹介しまいしたがミハイル・ガルージン氏は、6歳から5年間日本で過ごしています。

6歳から11歳までということは、インターナショナルに通われていたことでしょう。

実はミハイル・ガルージン氏は日本語がも堪能ですが、英語もペラペラなためロシア外務省第3アジア局長に任務していたり、日露首脳会談の通訳を務めたこともあるほどの知日派の外交官なんです。

また大学時代には1982年~1983年に創価大学に留学経験も。

さらに2018年に駐日ロシア大使館大使として戻るまでに、15年間駐日ソ連・ロシア大使館の職員や公使としても勤めてきました。

人生の多くを日本にいることからこれだけ日本語もペラペラになられたのでしょう。

ガルージン氏はロシア語はもちろん、英語・日本語を流暢に操り話すことで円滑なコミュニケーションを取り外交に役立てているのですね。

ミハイル・ガルージンの発言が支離滅裂?みんなの声

ソ連時代からの外交官であるミハイル・ガルージン氏。

生粋のロシア人でありますが、日本を敬愛されていることも間違いないでしょう。

目次